お彼岸で奥の院へ

今日は来月2歳になる息子を連れて
奥の院へお参りに。

毎月20日にお大師様へのお供え(生身供)と
奥の院の皆様に
胡麻豆腐を召し上がって頂いているので
(有難いことです!
味見をなさるお地蔵様にも
いつもご挨拶を。

御廟は撮影禁止ですが、
高野山の樹々は春の息吹で
朝には
ほーほ、 け ! け、 けきょ !
と、まだ練習中な感じで(笑
毎年の鳴き声が聞こえてきます(^ ^)

昨年他界した祖母の冥福と
家族や従業員、
ご縁のある方無い方皆々様の健康
お客様への感謝
ご多幸を心からお祈り致します。

冬季休暇が明けました

高野山は少しづつ、春の息吹を感じる季節となりました。
当店は、昨日で毎年の冬季休暇を終え
本日20日より営業再開致しました。

有り難い事に、昼過ぎには全て売り切れとなり、
又、オンラインで発送のご注文も沢山に頂き、
本当に心より厚くお礼申し上げます。

麓は菜の花や梅が綺麗に咲いております。
お山はようやく〝ふきのとう〟が顔を出しました。

どうか、1日も早い平穏が訪れますよう。
皆々様くれぐれもお身体ご自愛の上お過ごし下さいませ。

謹賀新年

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
旧年中のご厚情に感謝し、
皆様の益々のご多幸とご健康をお祈りいたします。
今年も変わらぬご愛顧を賜りますよう
宜しくお願い申し上げます。

胡麻豆腐 濱田屋

豆腐

書く時間を確保できず期間が空いてしまいました。
約3ヶ月ぶりの更新です。
今回は豆腐についてです。

豆腐の起源は紀元前2世紀淮南王劉安が発明されたとなっていますが
諸説色々あります。
また日本へは遣唐使が中国より伝えた説が最も有力です。
鎌倉時代に民間へそして室町時代に全国各地に広まったようです。
江戸時代には豆腐百珍という本がベストセラーになり続編も発行されました。
ちなみに豆腐百珍の中には胡麻豆腐も載っています。

作り方は
大豆を一晩水に浸け、加水しながらすり潰して煮沸。
濾して豆乳とオカラに分けます。
出来上がった豆乳を苦汁で固めます。
このまま冷ましたものを絹ごし豆腐、
容器に布を敷き押し固めたものを木綿豆腐と言います。

さて固める作業の際、苦汁の量が重要で多すぎるとコツコツとし
豆腐に少し茶色っぽい色が混じりますし少な過ぎるとそもそも固まりません。

また、作り手にも大きく左右されます。
ワン・ツー寄せ器でも櫂でも
(どちらも苦汁と豆乳を混ぜるもので櫂の方が難しい)
その時の体調や感情がそのまま出来上がりに出てきます。
ですから、常に心身ともに一定に保っておかないといけません。

私が作っていた際は、ワン・ツー寄せ器を使っていましたが
頭の中で苦汁が全体に行き渡るイメージを描きながら
手に伝わってくる感触を大切にし、力加減を加減していました。

一発勝負なので神経を使い難しい。
その分やりがいもあり毎回気づきの連続で面白さもあります。

胡麻豆腐

今回は胡麻豆腐についてです。

胡麻豆腐はいつから作られるようになったか。
諸説色々とありますが
私が以前調べた範囲では和漢精進料理抄(1697)で
『麻豆腐(もとうふ)』とあるのが最も古い記述でした。
麻豆腐とは、隠元禅師が普茶料理の一品として中国より伝えたと
普茶料理抄(1772)に記述があるので、隠元禅師が伝えた説が有力かと考えております。
特にそう思う根拠の一つに、
材料の本葛が葛の根から本格的に作られるようになったのが約400年前だからです。

また、高野山のお土産として胡麻豆腐が知られるようになったのは
高野豆腐が作られなくなった昭和30年代、
3代目義次が、町の方々と何か代わりにお土産となるものはないか?
と話し合って売り出すようになってからです。

さて胡麻豆腐の作り方ですが
胡麻をよく擦り水と葛で丁寧に練りながら煮込み
型に入れ冷まします。

これは麻豆腐として伝わってきた方法で、
大凡この通りで作られておりますが、高野山では少し違います。

ご存知の方も多いかと思いますがお山では胡麻の皮を剥き、
白い芯の部分を使って製造します。
この芯の部分を加水しながら挽き、絞り汁を作り、葛を丁寧に溶かして
鍋で加熱後、型に入れ冷まします。

胡麻の皮を剥くことにより、出来上がりが白く
そして油分が少なくなりますのであっさりとした胡麻豆腐となります。

高野山ではなぜこのような製法になったかは、勉強不足でわかりませんので
今後の課題なのですが、よく似た製法が「新撰豆腐料理」(明治22年)に
載っています。(但し、葛ではなく餅米を使います)

最後に、当店は吉野本葛を使用しております。
(株式会社黒川本家様の随一本葛を使用)
葛=本葛と思われがちですが、実際は違います。
本葛は葛デンプンのみで、成分表示が「葛」もしくは「葛デンプン」
一方葛は葛デンプンと甘薯デンプン(さつま芋)を混合したものです。
割合の多い方からの表示となりますので
「葛デンプン、甘薯デンプン」または「甘薯デンプン、葛デンプン」
と表示されます。
価格も全く違いますので、原材料を確認してみて下さい。

高野豆腐

ここ最近思うところがございまして
これからは自分が知っている範囲で色々と発信をしていこうと思います。
先ずは胡麻豆腐の事と言いたいのですが
やはり高野豆腐の事から始めたいと思います。
月に1、2度程度とはなりますがお付き合いください。

元々高野山の代表的なお土産の一つはその名が示すように高野豆腐でした。
(他にはお数珠、陀羅尼助、目薬、等々)

寒い地方では凍り豆腐として各地で作られてましたが、
高野山では江戸時代の宝永5年(1708)伝右衛門が販売目的で製造を始め
寛政年間(1789〜1800)には大規模生産されるようになりました。
享和3年(1803)の本草綱目には
「和州高野の名産」として京阪地方にその名を知られ
天保年間(1831〜1845)の「続紀伊風土記」には
十数人の職人が分業で製造する図が掲載されてます。

明治時代になりますと、軍の携行食として高野豆腐が採用され
益々製造が盛んになりました。

また冷凍技術が発達し、明治36年に大阪天満の乾物商和田半兵衛が
第4回内国勧業博覧会凍豆腐の部にて「人口冷凍豆腐」を出品。
高野山からも関係者が多数見学に行ったようですが
天然にこだわって製造する事を確認したようです。

ただこの決断が仇となり、早くに冷凍庫を導入した信州地方に遅れを取り
最終的には第2次大戦の物資不足と相まって山内で製造されなくなりました。

当店も元々はお豆腐を主として明治期に創業しており、
大戦中は19年に駐屯してきた海軍航空隊の御用商人となり
何とか命脈を保つ事ができました。

色々と調べて面白いと思ったことは、「続紀伊風土記高野山之部氷豆腐」に
山上に数十軒の氷豆腐屋があり特に源兵衛豆腐が美味しく
山上は言うに及ばず麓や葛城峯の北山の偽物が、源兵衛豆腐と名乗って
都市部に輸送されていると書かれている事です。

いつの世もする事は変わらないようです。

少しずつ暖かくなってきました

高野山では
ようやく梅の蕾が膨らんで参りました。
春はもう目の前ですね。
山々は生命の息吹で満ち溢れています!

当店では土日祝日限定で
抹茶味の胡麻豆腐をお作りしており、
密かな裏メニューです(^ ^)

本葛と胡麻の風味を邪魔しない様に
柔らかく繊細な京都一保堂のお抹茶を使用。
牛乳と和三盆で
抹茶ミルク味もおススメです。
小さなお子様でも
優しいお味で食べやすいです。

お抹茶味は数に限りがございますので
事前にお電話でご予約をお願い致します。

花より団子の皆様、
是非、和三盆で頂く抹茶胡麻豆腐も
お試し下さいませ。

春めいて来ました

毎年2月の冬季休業を終え
2/20より営業再開致しました。

いつもご愛顧頂いております皆様には
長らくご迷惑をお掛け致しました。

高野山は少しづつ春の息吹を纏い、
〝フキノトウ〟が芽吹き始めました。

先日は淡路島〜お大師様生誕の地
「善通寺」へお参りし、
菜の花と梅の蕾にも出会えました(^ ^)
春は目の前ですね。

いよいよ3/1から南海電車ケーブルも再開致します。

店主をはじめ従業員一同、
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

牛玉杖(ごおうつえ)

1月5日に壇上伽藍の根本大塔にて
『大塔 修正会』が執り行われました。
年の初めに除災招福・五穀豊穣・国家安穏
を祈る儀式です。
法会の終盤には
高野山に117ヶ寺ある寺院の御住職が
「牛玉杖(ごおうつえ)」
で床を打ちながら一年の息災を祈念します。

毎年お正月に壇上伽藍で
参拝の方々に飲んで頂く
〝くず湯〟を奉納させて頂いているので
本日、その「牛玉杖」を頂きました!
櫨の木で出来ており〝魔除け〟になるそうです。

しばらくはお床に飾らせて頂き
魔除けにしたいと思います。

今年も宜しくお願い申し上げます

明けましておめでとうございます。
例年通り、本日が初商いです。

今年も従業員共々、
心を込めて精一杯お作りして参ります。

変わらぬご贔屓賜りますよう
何卒宜しくお願い申し上げます。

今年1年の皆様のご多幸を
心よりお祈り申し上げます。