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折々のこと

26 9月

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高野豆腐

2019年9月26日 | By |

ここ最近思うところがございまして
これからは自分が知っている範囲で色々と発信をしていこうと思います。
先ずは胡麻豆腐の事と言いたいのですが
やはり高野豆腐の事から始めたいと思います。
月に1、2度程度とはなりますがお付き合いください。

元々高野山の代表的なお土産の一つはその名が示すように高野豆腐でした。
(他にはお数珠、陀羅尼助、目薬、等々)

寒い地方では凍り豆腐として各地で作られてましたが、
高野山では江戸時代の宝永5年(1708)伝右衛門が販売目的で製造を始め
寛政年間(1789〜1800)には大規模生産されるようになりました。
享和3年(1803)の本草綱目には
「和州高野の名産」として京阪地方にその名を知られ
天保年間(1831〜1845)の「続紀伊風土記」には
十数人の職人が分業で製造する図が掲載されてます。

明治時代になりますと、軍の携行食として高野豆腐が採用され
益々製造が盛んになりました。

また冷凍技術が発達し、明治36年に大阪天満の乾物商和田半兵衛が
第4回内国勧業博覧会凍豆腐の部にて「人口冷凍豆腐」を出品。
高野山からも関係者が多数見学に行ったようですが
天然にこだわって製造する事を確認したようです。

ただこの決断が仇となり、早くに冷凍庫を導入した信州地方に遅れを取り
最終的には第2次大戦の物資不足と相まって山内で製造されなくなりました。

当店も元々はお豆腐を主として明治期に創業しており、
大戦中は19年に駐屯してきた海軍航空隊の御用商人となり
何とか命脈を保つ事ができました。

色々と調べて面白いと思ったことは、「続紀伊風土記高野山之部氷豆腐」に
山上に数十軒の氷豆腐屋があり特に源兵衛豆腐が美味しく
山上は言うに及ばず麓や葛城峯の北山の偽物が、源兵衛豆腐と名乗って
都市部に輸送されていると書かれている事です。

いつの世もする事は変わらないようです。